「やちむん」とは、沖縄の言葉で「やきもの」をさす言葉です。
焼き物、染織、ガラスをはじめ、様々な手仕事が今なお活発な沖縄。
なかでも沖縄の「やちむん」は、島内各地に多くの作り手がいます。
沖縄は、古くから日本や中国、東南アジア諸国との交易を通じて、
様々な文化を吸収してきました。
沖縄の陶器には、そんな沖縄独特の文化や風土が色濃く反映されています。
柳宗悦や濱田庄司らによる民藝運動の後押しもあり、現代に至るまで、
沖縄ならではのやきもの文化が守られ、引き継がれて来ました。
沖縄本島の中部・読谷村にある「やちむんの里」には、
1970年代頃から都市化が進んだ壺屋(那覇市中心部)を離れ、
移転してきた窯元が軒を連ねています。
△北窯の工房外観
△北窯の登り窯。13連房という巨大なもの。
その中の一つ、「読谷山焼北窯」は、県内最大級の13連房の登り窯を擁する共同窯です。
1992年に4人の陶工によって設立され、以来4人は「親方」としてそれぞれ弟子を取り、
共同で運営して来ました。
手しごとの創立者である故・久野恵一は、北窯の設立当初から親方たちと関わり、
特に親方の一人・松田共司さんとは、ものづくりへのアドバイスなどを行うなど、深く関わってきました。
松田共司さんは、北窯設立の趣旨を「沖縄の焼き物を作ること」、
「登り窯を焚き続けること」、「後継者を育てること」と語っています。
△北窯の土作りの様子。お弟子さんたちが共同で行う。
△窯焚きの様子
北窯には多くの若いお弟子さんがいて、土作りや窯焚きなどは共同で行われます。
一定期間の修行を経て独立する人も少なくありません。
北窯は、沖縄らしい焼き物を作り、その文化を次世代に引き継ぐ為に
切磋琢磨する最前線と言ってよいでしょう。
そんな北窯を卒業した二人の作り手のやちむんをご紹介します。
一人は、沖縄の南部、糸満で窯を営む作り手。
北窯・松田共司さんの工房で修行を積みました。
やちむんの魅力の一つに大らかさがあると思います。
仕事にやや荒さが見られますが、そこに備わる力強さや大胆さに惹かれるのだと思います。
一方で、この作り手さんは丁寧な仕事で、比較的軽いつくりが特徴です。
しかしながら、ふっくらと丸みを持たせた形は、やちむんの特徴をしっかりと引き継いでいます。
丁寧なつくりで、使いやすく、手に取りやすい。
やちむん伝統の模様を活かしつつ、独自のスタイルに昇華させた、
力強く大胆な絵付けも魅力的です。
もう一人は、読谷村で窯を営む女性の作り手です。
北窯・宮城正享さんの工房で修行を積み、独立しました。
素直なつくりで、大らかさと大胆さが感じられる作り手です。
数をたくさんこなすことで生まれる、勢いのある筆運び。
力強く、それでいて女性的なしなやかさも感じられます。
ロクロ仕事にも、繰り返しの仕事で培われたものが感じられます。
師匠・宮城さんの、大らかながらも骨格のある仕事を受け継いでいるように思います。
さて、お気づきかもしれませんが、ご紹介した作り手さんのお名前はここに記していません。
非公表とさせていただいています。
なぜ非公表かと言いますと、彼らに次代のやちむんを担う作り手に育ってもらいたいから、です。
現在のやちむんは、「やちむんブーム」ともいうべき活況を呈していますが、
なんでも「やちむん」として名前をつけて扱われることで、時間とともに
古き良きやちむんの良さ、伝統が薄まっていってしまうことを私たちは危惧しています。
それらはある意味で、時代に即したアップデートとも言えるかもしれませんが、
たとえ時代に合った仕事であっても、琉球・沖縄という独特の風土の中で育まれてきたものを失うと、
それは、もはやどこのものとも言えない物になってしまいます。
残念ながら、日本の手仕事の多くはそのような道を辿ってきました。
私たちが作り手に仕事を依頼する時は、その仕事が育まれてきた風土、伝統を活かすよう、
最大限に配慮したいと考えています(これはやちむんに限りません)。
一方で、発展途上にある作り手が、いろいろな注文をこなすうちに
仕事の軸がブレていってしまうことは往々にしてあることです。
そのため私たちは、彼らが「次世代のやちむんを託せる作り手になった」と言えるまでは、
積極的に名前を公表することは差し控えています。
彼らの生き生きとした仕事と、これからの未来に、どうぞご期待ください。