鹿児島県の二つに別れた半島(薩摩半島、大隅半島)のちょうど付け根に位置する加治木(姶良市)。
薩摩の守護大名・島津義弘(1535-1619)が居住を置いたこの地から、
4kmほど山あいに入ったところに龍門司焼という焼きものがあります。
朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、島津義弘によって朝鮮から連れてこられた
陶工の子孫である山元碗右衛門によって、1688年に始まったと伝えられます。
龍門司焼は、鉄分を多く含む赤黒い陶土を用いた、いわゆる「黒もん」の窯場です。
(薩摩の焼きものには、大きく分けて白もんと黒もんという2種類の焼き物があります。詳しくはこちらをご覧ください)
甕をはじめとした大型の雑器の「黒もん」が作られた苗代川とは異なり、
瀬戸、肥前、京など他の土地から多彩な技法を採り入れ、茶道具をはじめとした食器類が多く作られました。
龍門司焼は、陶土や化粧土から、釉薬の原料など、原材料のすべてを地元・鹿児島県内のものを用います。
現代では非常に希少な窯元です。
化粧掛けした白に飴釉と緑釉を流しかける「三彩流し」は、
龍門司焼ならではの黄色味がかった柔らかい白色に、飴・緑の2色の彩りが添えられ、
独特の温かみのある風合いが生まれます。
古作のからから(三彩流し)
また、黒釉を掛けた上に緑釉を流し掛けた「青流し」は、
柚子肌と呼ばれる微細な凹凸がある黒い肌に、釉薬が無作為に流されたもので、
独特の力強い雰囲気が備わり、かつての無骨な黒もんに通じるものを想起されます。
黒釉青流しの飯碗
薩摩の焼きものには、薩摩ならではの地域性が感じられるうつわが今に伝わっています。
黒茶家(くろぢょか)やカラカラといった聞きなれない名前の酒器は、薩摩特有の個性的な形。
龍門司焼の黒茶家
カラカラ
いずれも、庶民の普段使いから生まれたもので、かつて薩摩にあった独特の文化が感じられます。
龍門司焼は、このような個性的な薩摩の焼きもの文化を現代につないでいる、
非常に貴重な窯元と言えると思います。
手しごと創業者の久野恵一は、龍門司焼企業組合理事長の川原史郎さんをはじめ、
陶工さん達と40年以上に渡って交流を重ね、様々なうつわ作りに取り組みました。
理事長の川原史郎さん(手前)と、陶工の猪俣さん(奥)
史郎さんの長男・竜平さんも陶工として仕事に取り組む
手しごとでは、龍門司焼ならではの伝統、魅力が感じられる日常使いのうつわをご紹介しています。